2021年11月25日木曜日

ラディッシュを収穫してラディッシュと葉のサラダを作る

10月後半に種を蒔いたラディッシュが食べごろになったので収穫するのである。

収穫したらば例によって水でジャージャー洗うのである。

まあ、主に泥を洗い流すわけであるが、時期によっては虫さんがついてる場合もあるので、まあ、虫もタンパク質と考えれば悪くはないが、やはり気持ち悪いと感ずる向きも多かろうから、やはり洗い流すわけである。

ラディッシュはてきとーに蒔くと20日ほどで食べごろになるので、いわゆる20日大根てな呼び名もあるぐらいで大根の仲間である。

3月から6月、9月から12月にかけてと何度も蒔いて収穫できるので、実に重宝するお野菜である。

ラディッシュは大根の仲間であるので、消化を助けるジアスターゼとビタミンCが豊富なお野菜である。

また、葉にはビタミンCのほかにビタミンK、ミネラル、βカロテン、葉酸や食物繊維も豊富に含まれ、もちろん食えるので、そのまま浅漬けにしてもおひたしにしてもいいという、これまた実にお得なお野菜である。

ということで作ったラディッシュと葉のサラダである。

まあ、正確にはラディッシュの根のスライスと葉のおひたしである。

おひたしがサラダかどうかというご意見もあろうが、「生野菜、ゆでた野菜、または下調理された魚貝類、獣鳥肉類などをサラダ用ソースで和(あ)えるか、またはソースを添えて供する冷製料理である。」(大日本百科全書・ニッポニカ)ということであるので、サラダと思えばサラダであるわけである。

根はもちろん生であるので、爽やかな辛味とともになかなか食欲に貢献する味わいである。

葉も生で食えるが、大量に食いたいあたしは湯がいておひたしにするのが通常である。

食物繊維は腸内細菌の餌であるので、健康法を追求する気功家として、それなりに多めに食いたいあたしである。

象気功

2021年11月23日火曜日

勝手に芽を出した小松菜を植え替える

我が象形流自然農園の畑のあちこちに勝手に芽を出した小松菜を集めて植え替えるのである。

小松菜は食い残しというのか、育ったものをほっとくと黄色い花が咲いて種ができて、それが散らばってあちこちに勝手に芽を出すのである。

まあ、自然の植物の繁殖であるといえばそうであるが、家庭菜園てなものはホームセンターあるいは農協あるいは種屋さんなどで買ってきた種を蒔くというのがお定まりの作業である。

しかし、そうしなくても育ったものを収穫せずにほっとくと勝手に雑草状態で繁殖するのである。

当たり前である。

それが植物の本来の種の保存であるが、まあ、品種改良で種なしで一代限りの作物もあるので、すべての作物がその限りではないが、とにもかくにもうちの小松菜は畑のあちこちに毎年勝手に芽を出すのである。

しかし、勝手に芽を出すとは言っても雑草とまじって何が何やらわからなくなるので、ひとつひとつ丁寧に掘り起こして植え替えることが毎年のルーティンである。

この場合ルーティンが正しい表現かどうかはわからんが、とにかくルーティンである。

これも家庭菜園の楽しみのひとつであるので、あたしとしては「おー、よしよし、こんなところに出てきたか、ちゃんといい畑に植え替えてやるぞ」というお気持ちであるが、小松菜からすれば元気よく芽を出してこれから育とうとするところを引き抜かれてしまうので、大きなお世話であるかもしれないのである。

30本ほど掘り起こして、それをテミあるいは手箕あるいは千吉、ちなみにうちではゴミトリ箕と呼んでいる箕に集めるとこんな量である。

ものがいわゆる苗であるが、市販の苗とは違いカップもないし根元の土はないので量はこんなもんである。

こんなてきとーな方法で植え替えて大丈夫なのかと思う向きもあろうが、大丈夫である。

何がなんでも完全無農薬有機野菜を食いたいという健康意欲と食い意地に突き動かされた大ベテランアマチュア自作農のノウハウである。

さて、そんなこんなで植え替えた小松菜の皆さんである。

水をたっぷりと差し上げたので気持ちよさそうと思うのはあたしの勝手な思い込みとしても、土起こしをして耕した畑であるので根が張りやすいであろうことは推測に難くないのである。

小松菜は育つと葉が巨大になるので、間隔をもう少し開けた方が良かったかもしれんが、まあ、楽しいご近所付き合いということで下町風情を楽しんでいただきたい。

自分でも何言ってるのかよくわからんが、とにもかくにもこんな具合で勝手に芽を出したあれこれの作物をときどき植え替えすることがあたしの自然農法の農作業のひとつである。

健康長寿を願う気功法あるいは健康法の基本は食である。

象気功

2021年11月18日木曜日

山の柿を収穫する

うちの裏山に非常に古い柿の木があるが、あたしが子供のころからあるので、樹齢は100年以上と思われるのである。

この地は古くはいわゆる柿畑(かきばた)で、柿の木が何本も植えてあって、あたしの親の代には出荷していたのであるが、現在はこの一本が残ってるだけである。

山の野生の柿はヤマガキと呼ばれるそうであるが、この柿の木は先祖が植えたものであるのでヤマガキではないわけである。

桃栗三年柿八年という通り、柿の果実を食べられるようになるには植えてから8年の歳月を費やすということであるが、100年前の先祖が植えた柿を今食えるのは実に感慨深いことである。

現在はなにしろ山の木であるので、手入れもへったくれもなくて、枝折りもしないせいで毎年それなりに果実を付けるのである。

柿の枝折りというのは、収穫の際に隔年で枝を折って果実が生らないようにして、柿の木を休ませることである。

「梅を切らぬバカ、桜を折るバカ、柿折らぬバカ」という格言にもあるとおり、柿は適宜枝を折って休ませる方が木が元気になりよい実を付けるということである。

畑などでもときどき土地を休ませる場合があることと同様である。

秋も押し詰まり、採らないと熟しすぎてしまうので、とにもかくにもテレビショッピングで買った高枝切りばさみを持ってはせ参じて上を向いてパツンパツンと切り落としたのである。

柿の果実をはさんでゆっくりと降ろすのが本来であるが、めんどくさいので切り落としである。

まあ、山であるので、地面が枯れ葉の腐葉土で柔らかいのでそんなに傷まないのである。

いずれにしも売るわけでもないので食えりゃいいというお気楽な柿の収穫である。

まあ、収穫というのもおこがましいので柿とりというのが正しい表現であるかもしれないのである。

昔は柿とり棒という先が二股に割れた長い竹を使って枝をパキンパキンと折ってとったのであるが、今は高枝切りばさみで切り落としてるわけである。

ということで切り落としの柿を例によって水でジャージャー洗ったわけであるが、完熟であるので、まっかっかである。

完熟している柿は砂糖をかけたように甘いので糖度はいかばかりかと思うが、実は叔父がこれを毎日食いすぎて糖尿病になってしまったので、あたしは心を鬼にして食う量を制限してるである。

品種は富有柿であるが、小売店で見かけるものとは大きさも相当違うので、なにしろ古い木であるので、おそらく原種であるかもしれないのである。

柿は一個食べれば一日分のビタミンCがとれてしまうほど豊富であるのであたしら健康マニアには欠かせない秋の果物である。

また、アセトアルデヒドの排出を促し二日酔いにも良いとされるが、そもそも二日酔いになるほど酒を飲むことに問題があるので、柿を二日酔いの対策と考えるのは本末転倒である。

このようにきわめて健康に良いとされる柿も食べ過ぎれば前述の糖尿病り患などろくなことにはならんので、そこはそれ何事も足ることを知らなければならないのは言うまでないことである。

象気功

2021年11月16日火曜日

大根の収穫と大根料理


 9月初旬に種を撒いた大根が見事に育ったのでは早めに収穫である。

お野菜を柔らかく香りも甘いうちに収穫して食えるのが自作農の特権である。

早めに食うことに慣れたあたし的にはスーパー等の小売店の野菜売り場に並んでいる見事に生育しきったものは、香りがきつく味もきついのである。

もちろん無農薬、完全有機肥料で安心して食えるということも気功家農園主としてはたまらん特権であるのは言うまでもないことである。

うちの周囲のプロの農家を見渡しても無農薬、完全有機肥料のお野菜なんてものはどこにもないのである。

健康法を追求するのであれば、小さくてもいいから自分の畑を持つことをご推奨もうしあげるのである。

ホームセンター等で売ってる種で十分であるので、てきとーに蒔いて試し見れば意外に簡単にできるのである。

うまく芽が出なければ、そこから家庭菜園マニアへの入口となるので、それはそれで楽しみ極楽天国の入り口である。

昨今はお野菜の育て方はネットでいくらでも学ぶことができるので、まったくのシロートさんでも用意に参戦できるのである。

まあ、ゴタクはともかく、これがよろしかろうという大根に目星をつけて、葉ではなく根を両手で持って丁寧に引き抜くのである。

大根の葉もお召し上がりになるので、そこはそれ大事に引き抜くのである。

ご存知のようにダイコンは消化を助けるジアスターゼを筆頭にビタミンC、カリウムや食物繊維等を豊富に含み栄養満点のお野菜で、煮物や漬物などあれこれ幅広い料理に使われるわけであるが、どうみても、根よりも葉の方に葉緑素を含めて栄養があるのは一目瞭然である。。

しかし、前述したようにこれが育ちすぎると葉が固くて辛くて食材としてはあまり芳しくなく、小売店の売り場では、どうせ捨ててられてしまうので最初から葉っぱをとって売られている場合ば多いわけである。

ここがあたしら自作農のたまらんところで、若いうちの葉が柔らかく香りもきつくないうちに、つまりもっとも美味いと思う好きなときに収穫して食えるわけである。

さて、その次はいつものように泥を水でジャージャー洗い流すとこのようにキレイで美味しそうなお大根になるのである。

この洗い流す作業は重要で、泥が残っているとジャリジャリしてやばいことになるのである。

とくに根と葉の付け根のところは入念に水をかけることが必要である。

洗い上がったら包丁でお好きなように切ったり刻んだりしていよいよお料理である。

まずは大根の酢の物と、即席漬けを作ろうということで細かく切り刻んだのである。

さてさていかなることに相成るやら、楽しみはこれからよということである。

育てる楽しみもさることながら、食うことはさらなる楽しみであるのは当然である。

ということで、出来上がった、大根の酢の物と塩昆布和えである。

もちろん両方とも火を通しいるわけはないので、ビタミンCは全力で保持しているので栄養は最高である。

酢の物は塩もみしてから水気を切って、刻んだ昆布や鷹の爪を入れたりして風味付をするのであるが、大量にお召し上がりになるあたしは酢と少量の砂糖で適度に味付けするだけである。

茹でた大根である。

まあ、大根の代表的なお料理にふろふき大根があるわけであるが、基本本的にあたしは茹でるだけである。

とにきよって、味噌をそのままのせて食ったりもするが、若い大根であるので茹でるだけで十分美味いのである。

素材を十分に味わうために、あれこれいじくりまわさずにできるだけそのままお召し上がりになりたいこともあるのである。

さらに大根とワカメのスープである。

味付けはワカメの出汁が主で、ほとんど味無しであるが、それでも十分美味いのである。

まあ、この場合の「美味い」というのは、外食はともかく家では塩や調味料をできる限り使わないというコンセプトの生活に慣れたあたしの場合であるから、いくら若い大根とはいえ万人に共通することではないのは言うまでもないことである。

象気功

2021年11月14日日曜日

鷹の爪(唐辛子)の収穫と葉の甘辛煮

 鷹の爪がほどよく色づいたので収穫するのである。

まあ、鷹の爪を山ほど作ってもそれほど利用できるわけでもないので、だいたいこの程度の作付けで十分である。

ていうのかてきとーの種を蒔いてほったらかしで勝手にできたのがこのぐらいであったという方が正しいのである。

種を蒔いてーーたくさん芽が出たらよろこび、少し出ても喜び、芽が出なけりゃそれでよしとする、やらないよりマシをもっとーとする象形流自然農法の真髄である。

わははははははははーーーーーーーーーっ。

笑うな。

ハイ。

引っこ抜いて並べるとさらに少なく見えるが、もう一度言うが鷹の爪は唐辛子であるので、700年の先祖代々の系図をたどってもどこまでも由緒正しい日本在住の百姓のあたしとしては、そんなに唐辛子をお料理にご使用になるわけではないので、このくらいで十分であるわけである。

さて、茎から実と葉をとって、ザルに入れて例によって水でジャージャーと洗うわけである。

なんで洗うかと言うと、泥がついていて汚いからである。

まあ、あたしら農業において泥が汚いなんていうと語弊があるので言い換えると、泥が付いてると食材として支障がでるからである。

誰が農業だ。

とにもかくにも洗ってこのようにキレイになると、作者のあたしとしては実に心が晴れ晴れと華やぎ、いつものごとく氣道が緩んで血管も緩み、全身の血流が良くなり健康増進の糧となるのである。

気功の目的は、氣で人を飛ばしたり体を木材て叩いたりしても大丈夫なんてことが目的ではなく、健康長寿である。

さらには唐辛子はカプサイシンによる健康効果も加味されるので、適度に使えば健康マニアにあh実に香ばしい香辛料となるのはご存知の通りである。

さて、鷹の爪・唐辛子の実の使い方についてはどなたもご存知と思うが、本題は「鷹の爪は葉も食べれられる」ということである。

これが砂糖と醤油で適度に味付けして甘辛煮とすると、その独特の風味と相まってそうとう美味いのである。

スーパーや青果店の店頭で葉がついたものを売ってたらぜひお試し願いたい。

そうは言っても、あたしはとりたての新鮮なものしか食ったことがないので、収穫して日にちが経過した葉が美味いかどうかは保証しかねるのは言うまでもないことである。

ということで鷹の爪の葉の甘辛煮である。

ご飯のお供に、またお酒のつまみに最高である。

象気功

2021年11月11日木曜日

キャベツの間引きと植え替え

てきとーに蒔いてキャベツが育ってきたので、うまく結球するように間引きして植え替えるのである。

写真の左がキャベツで右は大根である。

キャベツの種を撒くときは一個一個間をおいて蒔くわけではなく、溝を掘っててきとーに蒔くので、まとめて芽がでて密集してしまうのである。

キャベツはご存知のように成長すると結球つまり丸くなるので、密集していてはお互いに邪魔をしてうまくいかないわけである。

だから、時期をみて適宜離して植え替える作業となるのである。

このように農業は毎日こまごまと作業があって、日々休むことなく働くのであるが、気功家としては動くことによる氣の養生という側面が大きいので、面倒と思わずに運動と思えるところが実に楽しみとなるわけである。

まあ、やってみるとわかるが、種を蒔いてだんだん育ってくると実に可愛くなって、成長が実に楽しみで、その成長を毎日見ているだけでもそうとうないわば癒やしである。

あたしみたいな人格霊格が最低の人間でもほのぼのと心が和み、もちろん心が和めば体は緩み、血流は良くなり、細胞のメンテナンスは滞りなく行われるのが心地よく感じられるのである。

さて、間引きしたキャベツを植えるためのだいたいの間隔で横に並べるのである。

基本がやらないよりマシをもっとーにした農業であるので、べつに確実なノウハウがあるわけではないが、結球するときにお互いにじゃまにならないであろうということに配慮した間隔である。

農業なんて言えるような農業ではないが、とにかく健康の向上を第一義とする気功家としては、スーパーや小売店の店頭に並ぶきれいな農薬が葉に染み込んだキャベツや、さらには某ちゅーごく他の外国産のキャベツはもっての他であるので、とにもかくに自分で納得の行くお野菜ができれば満足であるのである。

それを植えるとこんな具合で、実に壮観なながめにうっとりとしばし時を忘れて見惚れてしまうのである。

これがもう少し経つと結球が始まってそれはもう可愛いことこの上ないのであるが、食ってしまうのである。

ここまでの経過からするとあたしが鬼のように思えるだろうが、食うために作るのであるから当たり前である。

小さいのも他の場所に植え替えて、楽しみはさらに増えて、あたしの人生は極楽状態であるが、これもいずれは食ってしまうのである。

何を言ってるのか自分でも判然としないが、家庭菜園をなさってる同志の方はいわずもがなでご理解いただけることである。

てなところかな。

象気功

2021年11月10日水曜日

枝豆の収穫と茹で大豆

写真がちょっとわかりにくいかもしれないが、我が農園の枝豆畑である。

枝豆がほどよく育ったので収穫するのである。

枝豆はもちろん大豆のことである。

収穫した大豆を食って、残りを種として蒔くと毎年このように立派な枝豆畑になるのである。

枝豆を茎から外してザルに入れる作業である。

なにしろ農薬をいっさい散布しないので、まともなものよりも虫食いや傷んだものの方が多いのである。

それをひとつひとつ確認して選り分けながらであるので、これが一番時間と手間暇がかかるのである。

昨今はすっかり専業農家のおもむきが出てきた象師匠であるが、農業は地道な作業が毎日の常である。

しかしこの地道な作業のおかげで、無農薬の有機野菜を氣に溢れた新鮮な状態で日々お召し上がりになれるわけである。

収穫した枝豆のさやを水でジャージャーと洗うのである。

なんでかというと、よく洗わないと泥が付いてるので茹でるのに困るからである。

当たり前である。

洗い終わると泥が落ちてこのようにきれいな枝豆となるのである。

きれいになったら来年の種にする分をのぞいて、食う分を茹でるのである。

なんで茹でるかというと、中の大豆を指で押し出すのが簡単になるからである。

まあ、酒のつまみの枝豆をご経験の方はわかる通り、茹でるとさやからスポンスポンと簡単に大豆が出るのである。

右がスポンスポンと出した大豆で、左がスポンスポンする前の枝豆である。

簡単に書いてるが、このスポンスポンがひと作業である。

まあ、基本的にテレビを見ながらせんべいを食いつつ行うのであるが、右側のボールの大豆の量をスポンスポンするには小一時間かかるのである。

なにしろいかなる農薬散布もしないので、中の大豆も虫食いだらけで黒い斑点だらけのものが多いので、さやの収穫時と同様にスポンスポンしながらひとつひとつ確認して選り分けなければならないのである。

店頭で売ってる大量の農薬散布の結果のきれいな枝豆しか知らないシロートさんには想像もできない恐ろしい状態の大豆がスポンスポン出てくるのである。

良い食のためには努力も辛抱も惜しまない象師匠である。

ということでその大豆を圧力鍋でプシュープシューと茹でると柔らかい茹で大豆の出来上がりである。

あたしは基本的に味付けしないでこのままお召し上がりになるのであるが、まあ、昆布で出汁をとり砂糖と醤油で味付けして大豆の煮豆にするのが普通である。

また、圧力鍋がない場合は水に一晩つけてから茹でるのがよろしいと思うが、圧力鍋でないとそうとう茹でても硬いのである。

そんなこんなの経験から、圧力鍋がない時代に、このそうとう茹でても硬くて消化の悪い大豆を美味しく召し上がるにはどうしたらよかんべかねー、ということで、納豆や豆腐にして食すという方法が考案されたと勝手に解釈してるのである。

大豆に限らず野菜を茹でるたびに圧力鍋は大発明であるといつも感動して、ありがたいありがたいとなむなむするのである。

象気功

2021年11月8日月曜日

ネギが育ったので収穫する

ネギがほどよく育ったので収穫するのである。

まあ、十分に育たないうちに取って味噌汁の具にしてたのであるが、若いうちは逆に硬いのである。

毎年の経験でネギは十分に育ったほうが柔らかいということがわかったのである。


毎日このぐらいを取って味噌汁の具にするのである。

このネギはいわゆる小ネギ・万能ネギで、刻んで豆腐や納豆にかけたり、そばやうどんの薬味にしたり、味噌汁の具にしたりとあれこれ用途が広いので毎年作るのである。

畑には小みかんの木もあるので、ついでに取ってきたのである。

ホームセンターで小さいミカンの実のついた苗木があったので、「おお、これはきっと育てば大きなミカンになるぞ」と買って、育ってみたらそのまんまで小ミカンだったのである。

まあ、それでも完熟するとそれなりに甘くなるので、毎日10個ぐらい食ってるのである。

ミカンは糖度が高いので、通年ダイエット状態のあたしとしては控えたいところであるが、そこはそれ食欲の権化たる象師匠としてはそうもいかないあれこれである。

何言ってるかわからんが、まあ、食いたいわけである。

ということでネギを比較的細かく切ってネギの味噌汁を作るのである。

ネギは細かく切るほど火が通りやすく柔らかく煮えるのであたしは細かく切る派である。

もちろん、ネギのシャキシャキ感が好きという向きには、柔らないのが好きか硬いのが好きかは人それぞれであるので、お好きなようにというのは言うまでもないことである。

象気功

2021年11月7日日曜日

里芋の親芋を畑に埋めて保存する

ううむ、どうもスマホでは土の茶色がうまく出なくて、絵づらが大変地味であるなあ。

まあ、そんなことはともかく、先日、里芋を掘り返して親芋と子芋を分けた分けたわけであるが、その里芋の親芋を畑の土中に埋めて保存するのである。

この親芋が来年の里芋のための種芋となるわけである。

里芋を畑に埋めて保存する場合は、通常、里芋の親芋と子芋をはがして分けると、はがした部分が痛みやすいので、種芋とする親芋から子芋や孫芋をはがさずに、80cm程度の穴を掘って、逆さにして並べて埋めるのである。

しかし、東京にお住まいでめったに氷点下にならない温暖な地域で自然農園という名の家庭菜園を営むあたしの象形流里芋保存法は違うのである。

子芋や孫芋をはがして食っちまった残りの親芋を種芋として、浅い溝を掘って、逆さにせずにそのままてきとーに並べて、土をてきとーに土をかけるだけである。

まあ、象形流自然農園という名のあたしの家庭菜園がある東京地方はめったに氷点下になることもないので、これで霜げるつまり霜にあたって野菜などがしおれて腐ることもないので、これで充分である。

土をかけて埋め終えたら、支柱などを並べてバミって、さらに棒や針金などでてきとーに埋めた溝を分かりやすくしておくのである。

それで来年の春になったら掘り出してしかるべきところに植え替えるかというと、そんなことはしないのである。

毎年そのまんま芽が出てまた立派な里芋ができるのである。

つまりこの親芋の貯蔵庫がそのまんま里芋畑ということである。

まあ、これは前述のように我が農園がある東京の温暖な場所での保存法であるし、あたし流であるので、家庭菜園マニアはあれこれ調べて正しい本来の保存方法で保存することをお勧めするのである。

それで、「さといも」と書いた名札をつけて来年の春まで里芋の親芋は深い眠りにつくわけである。

つまり、「里芋を埋めて保存した」ではなく、「里芋を植えた」ということである。

こんなんで本当に来年芽がでるのかといぶかしむ向きもあろうかと思うが、本当に毎年これで芽が出て里芋が育って、里芋の煮っころがしを食ってるのである。

無農薬、化学肥料無し、完全有機肥料でやらないよりマシのてきとーな自然農法でも個人で食うには十分すぎる量ができるのである。

象気功

2021年11月4日木曜日

白菜の間引きと白菜の即席漬け

9月の始めに種を蒔いた白菜が、ごらんの通り立派に育っていよいよ結球に向かうので、うろ抜きつまり間引きをするのである。

間引きの本来は種を生えた新芽の中からお互いの干渉や病害虫を防ぐ目的等で、比較的育ちが良さそうなものを選び、それ以外を引き抜くことである。

今回の白菜の場合は新芽の時にほったらかしであったので、ごらんの通り間が詰まって白菜が結球つまり玉になるのに支障が出るので、いくつか引き抜いて間をあけるのである。

間引かれてあたしに食われてしまう可哀そうな白菜の皆さんである。

スコップまたはシャベルは写真撮影上の飾りで、実際には手で引き抜いたのである。

どーでもいいことであるがスコップとシャベルは関西と関東で呼び名が逆になるので一応列記しておくのである。

まあ、当ブログでは今後は関東風に小さい方をシャベル、大きい方をスコップと呼ぶのであらかじめご了承いただきたいのである。

さらにどーでもいいことであるが、まあ、それはともかく白菜は根を浅く張るので簡単に手で引き抜けるのである。

可哀そうかどうかは意見が分かれるところであるが、野菜は若菜ほど柔らかくて美味いのである。

また、若菜が美味いかどうかも意見がわかれるところであるが、あたしの経験ではどの野菜も若い方が柔らかくて香りも甘く美味である。

だから、あたしはとにかく育つ途中でも「食えるようになったら」食うという主義である。

完全に育って青果売り場の店頭にならんでる状態のお野菜は、あたしには硬くて香りも強いのも含めて、そんなに魅力的ではないのである。

育つ途中の若菜を食えるというのは自作農を営むものの特権中の特権であるので、売るわけでもない家庭菜園の醍醐味ここにありというあれこれである。

引き抜いた野菜はもちろん水をジャージャーとかけて洗うのであるが、農薬散布はいっさいしないので葉っぱはいつもの通りの虫食いだらけである。

あたしゃそれなりに忙しいし、いちいち虫取りをするのはめんどくさいので、秋になっても虫の皆さんは大活躍であたしの育てたお野菜を食いまくるのである。

もちろん虫が食うということは自然で無害であるということの証拠であるので、実に喜ばしくめでたいことである。

さて洗いあがったらいよいよお料理である。

冬は鍋物の季節でいよいよ白菜の本格的な出番となるのであるが、それ以外にもご存じの通り和洋中華に非常に料理幅の広いお野菜である。

ということで、間引きした白菜の若菜を軽く塩でもんで即席漬けである。

もちろん塩は一度洗い流したので、ほぼ生の白菜であるが、実に柔らかく香りも含めて美味である。

ここが若菜のありがたさである。

象気功

2021年11月2日火曜日

カブの収穫と蜜柑で香り付けしたカブの酢の物

我が農園のカブの皆さんが美味しそうにお育ちになったので、いざ収穫である。

せっかく丹精込めて育てたものを食ってしまうのが農園のなりわいである。

カブの右隣はサラダ菜であるが、なにしろ化学肥料の類いを与えないので撒いた種の全部から目が出るとは限らないので、まあ、こんなものである。

それでもカブはけっこうな量で目が出て育ったのである。

写真の作付けがまばらなように見えるのは、途中でうろ抜きつまり間引きをしてすでに食ってしまったからである。

このカブは「時なし小カブ」てな種類で、東京周辺では3月から11月下旬まで収穫でき、蒔けば1か月程度で芽を出して食えるという、実に便利な品種である。

あれこれ小難しい手順を経なくても、土起こしつまり耕しててきとーに種を蒔けば目が出て勝手にお育ちになるのである。

象形流自然農法では畝づくりもへったくれもなくて、畑に鍬でてきとーな感覚で蒔き溝を作って、そこにてきとーに種を撒いて土をてきとーにかけるだけである。

もちろん土くれはシャベルなどで細かく砕くが、ふるいにかけるなどの手間はするわけもないのである。

あたしが食うのであって、売るわけでもないし、見せるわけでもないので、出来も見かけも関係ないのである。

まあ、そうはいっても、住宅地あるいは造成地の庭で土に問題がある場合は堆肥や培養土などで土づくりから始めないといけないので、それなりに研究は必要かもしれないのは言うまでもないことである。

まあ、家庭菜園てなことで趣味でやる場合はその苦労も楽しみのひとつであるわけである。

完全無農薬であるので、このカブの葉も虫食いだらけである。

実に爽快な光景である。

カブの根や葉にはビタミンA、B2、C、カルシウム、鉄、食物繊維が多く含まれ栄養満点で、また、根には大根同様にデンプン分解酵素のジアスターゼが多く含まれ、胃腸の働きを助けるといういわばスーパーお野菜である。

カブは酢漬け、汁の実、煮物など、実に多様に使用できるので、あたしの農園では11月に入っても種を撒き、さらに作付けしているのである。 

ということで蜜柑で香りづけしたカブの酢漬けである。

グリーンの色合いのものはもちろんあたしの農園でできた青いトマトである。

酢にほんの少量の砂糖を加えて実に柔らかく美味である。

基本的にあたしのお料理には塩は使わないので、このカブの酢漬けももちろん塩は不使用である。

仕事上の外食でいやおうなく大量の塩分摂取を余儀なくされるので、自分で調理するときは塩はできる限り使わないのである。

過剰な塩分は万病の元である。

象気功