里芋は今が旬であるので、エイコラとスコップで掘り起こしたら、まず親芋と子芋を分けるのである。
分けるというのは親芋についている子芋をはがすということである。
このとき包丁を使ってもいいが、あたしの場合は手でパッコンパッコンとはがすのである。
手ではがすと握力も鍛えられて一挙両得である。
握力は若さの基準でもあり、アンチエイジングの最たるものであるので、機会があれば逃さず利用すべきである。
握力を使えば当然血流は良くなり氣の充実度はいかんなく増すのである。
象源流自然農法は当然気功法の一環でもあるので、氣に昇華できるものはなんでもおやりになるのである。
親芋と子芋の見分け方は大きいのが親芋で、その周囲にいくつもくっついているのが子芋である。
当たり前である。
ところがものよっては親芋と子芋の大きさが定かでないものあるので、その場合は茎の付いてるものが親芋である。
さらに子芋に孫芋が付いてる場合もあるので、話はややこしくなるが、これはどなたも見分けがつくから大丈夫である。
子芋を親芋からはがしたらおおむねの薄皮をはがしてから、水をジャージャーとかけて洗うのである。
このときさらに泥や薄皮を取るのであるが、ゴムの滑り止めのイボ付き軍手でこすると実に取りやすいのである。
このイボ付き軍手を象形流自然農法ではイボグンと呼んで何かにつけ重宝しているのである。
さて、洗いあがるとこのように実にみごとな里芋ができあがるわけであるが、もちろんこのままでは食えないのは言うまでもないことである。
頭とお尻を切り落としてから皮をむいて、ゆでたり、煮たり、焼いたりするとまろやかでとろりと甘い里芋料理のできあがりである。
ということで里芋の煮っころがしであるが、象源流調理法は基本的にゆでるだけである。
塩も香辛料も調味料も使わないので、素材のまんまを味わうわけである。
もちろん「基本的に」であって、ものによっては酢や少々の砂糖などを使ってあれこれするのである。
象形流料理道もやりたいが、なにしろ基本が茹でるだけであるので、料理でもなんでもないので、誰の参考にもならんからこれは無理である。
実に残念である。
・象気功