うちの裏山に非常に古い柿の木があるが、あたしが子供のころからあるので、樹齢は100年以上と思われるのである。
この地は古くはいわゆる柿畑(かきばた)で、柿の木が何本も植えてあって、あたしの親の代には出荷していたのであるが、現在はこの一本が残ってるだけである。
山の野生の柿はヤマガキと呼ばれるそうであるが、この柿の木は先祖が植えたものであるのでヤマガキではないわけである。
桃栗三年柿八年という通り、柿の果実を食べられるようになるには植えてから8年の歳月を費やすということであるが、100年前の先祖が植えた柿を今食えるのは実に感慨深いことである。
現在はなにしろ山の木であるので、手入れもへったくれもなくて、枝折りもしないせいで毎年それなりに果実を付けるのである。
柿の枝折りというのは、収穫の際に隔年で枝を折って果実が生らないようにして、柿の木を休ませることである。
「梅を切らぬバカ、桜を折るバカ、柿折らぬバカ」という格言にもあるとおり、柿は適宜枝を折って休ませる方が木が元気になりよい実を付けるということである。
畑などでもときどき土地を休ませる場合があることと同様である。
秋も押し詰まり、採らないと熟しすぎてしまうので、とにもかくにもテレビショッピングで買った高枝切りばさみを持ってはせ参じて上を向いてパツンパツンと切り落としたのである。
柿の果実をはさんでゆっくりと降ろすのが本来であるが、めんどくさいので切り落としである。
まあ、山であるので、地面が枯れ葉の腐葉土で柔らかいのでそんなに傷まないのである。
いずれにしも売るわけでもないので食えりゃいいというお気楽な柿の収穫である。
まあ、収穫というのもおこがましいので柿とりというのが正しい表現であるかもしれないのである。
昔は柿とり棒という先が二股に割れた長い竹を使って枝をパキンパキンと折ってとったのであるが、今は高枝切りばさみで切り落としてるわけである。
ということで切り落としの柿を例によって水でジャージャー洗ったわけであるが、完熟であるので、まっかっかである。
完熟している柿は砂糖をかけたように甘いので糖度はいかばかりかと思うが、実は叔父がこれを毎日食いすぎて糖尿病になってしまったので、あたしは心を鬼にして食う量を制限してるである。
品種は富有柿であるが、小売店で見かけるものとは大きさも相当違うので、なにしろ古い木であるので、おそらく原種であるかもしれないのである。
柿は一個食べれば一日分のビタミンCがとれてしまうほど豊富であるのであたしら健康マニアには欠かせない秋の果物である。
また、アセトアルデヒドの排出を促し二日酔いにも良いとされるが、そもそも二日酔いになるほど酒を飲むことに問題があるので、柿を二日酔いの対策と考えるのは本末転倒である。
このようにきわめて健康に良いとされる柿も食べ過ぎれば前述の糖尿病り患などろくなことにはならんので、そこはそれ何事も足ることを知らなければならないのは言うまでないことである。
・象気功
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