2021年12月27日月曜日

コンポスターで生ゴミから有機肥料を作る

あたしの農園にある高さ80センチほどのでかいコンポスターである。

実はこれのお名前がコンポスターであるということを知らなかったのである。

スマホのGoogle検索についてるお写真を撮ると名前がわかるやつ、ああ、画像検索というらしいが、それで調べて初めてわかったのである。

このコンポスターは我が社の店子であった資材置き場が店仕舞いするときに置いていったものの中にあったのをもらったのである。

まあ、いきなりそんな話をしても意味が分からんとは思うが、要するにその会社が左前になって、物件から出ていくから備品を始末してしまうので、欲しいものがあったらなんでもあげるよということである。

まあ、そんな余談はどーでもいいのであるが、このコンポスターは生ゴミや野菜くずや枯れ葉などを入れておくと、微生物が分解して有機肥料になるという優れモノである。

バケツをひっくり返した状態の底抜けで、上の取っ手を開けて入れるのである。

あたしの場合はもっぱら食ったものの残り、いわゆる生ゴミ残飯の処理用であるが、これが我が自然農法の有機肥料の糧である。

だからうちからは生ゴミは出ないのである。

生ゴミは全部ありがたい有機肥料のための資源である。

一昔前まではうちの近所のどこの農家でもとても言えない人間由来の完全有機肥料をいわゆるくみ取り柄杓で畑に撒いていたわけであるが、とんでもない臭気に対する新興住宅地からの苦情と衛生面の問題もあり、また東京都の辺地の我が地域も下水道が完備されてやろうにもできない時代となったわけである。

いかに史上最強の霊能気功師のあたしといえども生ごみはそれなりに大量に出るので、これを資源回収分別の燃えるゴミの日に出してたら大変であるが、そこはそれ家庭菜園の複合利益というのか自然回帰といのか生命の循環というのか、食ったもんから肥料を作って、それを使って野菜を作って、その野菜で料理を作って、それを食って、その残りから肥料を作るという、地球環境にやさしい実にナチュラリストとしての理想郷うううでたらめにキーボードを打ってたら詰まった。

とにかく生ごみや野菜くずをこのコンポスターに入れておくと、勝手に有機肥料ができあがるので、頃合いを見て、畑に穴を掘ってそれを埋めるのである。

すると嗅覚が人間の何万倍だかしらんが、ハクビシンくんがその匂いを嗅ぎつけて、掘り返すのである。

写真では浅く見えるがこれがけっこうな掘り具合で、せっかく埋めた肥料になり切れない生ゴミや野菜くずが掘り返されて付近に散乱するのである。

しかし、それを目ざとく見つけたカラスくんが大方をもっていってしまうので、写真ではミカンの皮が少し残ってるだけである。

こちらはもっと前に埋めた場所を深く掘り返した穴である。

こちらも写真ではうまく表現できないが、そうとう深く掘っているのである。

でも、すでに微生物に分解されて肥料になってしまったせいか、何も散乱してないのである。

まあ、冬の野生動物の暮らしの厳しさがわかる光景である。

あたしがハクビシンくんが掘り返したあとを埋めたり、またそれをハクビシンくんが掘り返したりと大奮闘してるうちに、コンポスターで作った生ゴミと野菜くず由来の再生有機肥料のおかげで先月新しく種を蒔いた白菜が芽を出したのである。

時期が遅いので育つかどうかはわからんが、食えるようになれば結球しなくてもどんどん食ってしまうので問題はないのである。

これはもっと前に種を蒔いて育った白菜の結球を援助するためにヒモでお縛り申し上げたのであるが、まあ、要するに中に土が入らないようにということもあるわけである。

同様に、生ゴミと野菜くずのおかげですっかり育った左が大根と右がキャベツの皆さんである。

氷点下4度Cで凍った今朝の我が農園である。

これでもお野菜の皆さんは厳寒にも負けず元気にけなげにお育ちになるのである。

実に愛おしく可愛い限りであるが、もちろん全部残さず食っちゃうのである。

象気功

2021年11月25日木曜日

ラディッシュを収穫してラディッシュと葉のサラダを作る

10月後半に種を蒔いたラディッシュが食べごろになったので収穫するのである。

収穫したらば例によって水でジャージャー洗うのである。

まあ、主に泥を洗い流すわけであるが、時期によっては虫さんがついてる場合もあるので、まあ、虫もタンパク質と考えれば悪くはないが、やはり気持ち悪いと感ずる向きも多かろうから、やはり洗い流すわけである。

ラディッシュはてきとーに蒔くと20日ほどで食べごろになるので、いわゆる20日大根てな呼び名もあるぐらいで大根の仲間である。

3月から6月、9月から12月にかけてと何度も蒔いて収穫できるので、実に重宝するお野菜である。

ラディッシュは大根の仲間であるので、消化を助けるジアスターゼとビタミンCが豊富なお野菜である。

また、葉にはビタミンCのほかにビタミンK、ミネラル、βカロテン、葉酸や食物繊維も豊富に含まれ、もちろん食えるので、そのまま浅漬けにしてもおひたしにしてもいいという、これまた実にお得なお野菜である。

ということで作ったラディッシュと葉のサラダである。

まあ、正確にはラディッシュの根のスライスと葉のおひたしである。

おひたしがサラダかどうかというご意見もあろうが、「生野菜、ゆでた野菜、または下調理された魚貝類、獣鳥肉類などをサラダ用ソースで和(あ)えるか、またはソースを添えて供する冷製料理である。」(大日本百科全書・ニッポニカ)ということであるので、サラダと思えばサラダであるわけである。

根はもちろん生であるので、爽やかな辛味とともになかなか食欲に貢献する味わいである。

葉も生で食えるが、大量に食いたいあたしは湯がいておひたしにするのが通常である。

食物繊維は腸内細菌の餌であるので、健康法を追求する気功家として、それなりに多めに食いたいあたしである。

象気功

2021年11月23日火曜日

勝手に芽を出した小松菜を植え替える

我が象形流自然農園の畑のあちこちに勝手に芽を出した小松菜を集めて植え替えるのである。

小松菜は食い残しというのか、育ったものをほっとくと黄色い花が咲いて種ができて、それが散らばってあちこちに勝手に芽を出すのである。

まあ、自然の植物の繁殖であるといえばそうであるが、家庭菜園てなものはホームセンターあるいは農協あるいは種屋さんなどで買ってきた種を蒔くというのがお定まりの作業である。

しかし、そうしなくても育ったものを収穫せずにほっとくと勝手に雑草状態で繁殖するのである。

当たり前である。

それが植物の本来の種の保存であるが、まあ、品種改良で種なしで一代限りの作物もあるので、すべての作物がその限りではないが、とにもかくにもうちの小松菜は畑のあちこちに毎年勝手に芽を出すのである。

しかし、勝手に芽を出すとは言っても雑草とまじって何が何やらわからなくなるので、ひとつひとつ丁寧に掘り起こして植え替えることが毎年のルーティンである。

この場合ルーティンが正しい表現かどうかはわからんが、とにかくルーティンである。

これも家庭菜園の楽しみのひとつであるので、あたしとしては「おー、よしよし、こんなところに出てきたか、ちゃんといい畑に植え替えてやるぞ」というお気持ちであるが、小松菜からすれば元気よく芽を出してこれから育とうとするところを引き抜かれてしまうので、大きなお世話であるかもしれないのである。

30本ほど掘り起こして、それをテミあるいは手箕あるいは千吉、ちなみにうちではゴミトリ箕と呼んでいる箕に集めるとこんな量である。

ものがいわゆる苗であるが、市販の苗とは違いカップもないし根元の土はないので量はこんなもんである。

こんなてきとーな方法で植え替えて大丈夫なのかと思う向きもあろうが、大丈夫である。

何がなんでも完全無農薬有機野菜を食いたいという健康意欲と食い意地に突き動かされた大ベテランアマチュア自作農のノウハウである。

さて、そんなこんなで植え替えた小松菜の皆さんである。

水をたっぷりと差し上げたので気持ちよさそうと思うのはあたしの勝手な思い込みとしても、土起こしをして耕した畑であるので根が張りやすいであろうことは推測に難くないのである。

小松菜は育つと葉が巨大になるので、間隔をもう少し開けた方が良かったかもしれんが、まあ、楽しいご近所付き合いということで下町風情を楽しんでいただきたい。

自分でも何言ってるのかよくわからんが、とにもかくにもこんな具合で勝手に芽を出したあれこれの作物をときどき植え替えすることがあたしの自然農法の農作業のひとつである。

健康長寿を願う気功法あるいは健康法の基本は食である。

象気功

2021年11月18日木曜日

山の柿を収穫する

うちの裏山に非常に古い柿の木があるが、あたしが子供のころからあるので、樹齢は100年以上と思われるのである。

この地は古くはいわゆる柿畑(かきばた)で、柿の木が何本も植えてあって、あたしの親の代には出荷していたのであるが、現在はこの一本が残ってるだけである。

山の野生の柿はヤマガキと呼ばれるそうであるが、この柿の木は先祖が植えたものであるのでヤマガキではないわけである。

桃栗三年柿八年という通り、柿の果実を食べられるようになるには植えてから8年の歳月を費やすということであるが、100年前の先祖が植えた柿を今食えるのは実に感慨深いことである。

現在はなにしろ山の木であるので、手入れもへったくれもなくて、枝折りもしないせいで毎年それなりに果実を付けるのである。

柿の枝折りというのは、収穫の際に隔年で枝を折って果実が生らないようにして、柿の木を休ませることである。

「梅を切らぬバカ、桜を折るバカ、柿折らぬバカ」という格言にもあるとおり、柿は適宜枝を折って休ませる方が木が元気になりよい実を付けるということである。

畑などでもときどき土地を休ませる場合があることと同様である。

秋も押し詰まり、採らないと熟しすぎてしまうので、とにもかくにもテレビショッピングで買った高枝切りばさみを持ってはせ参じて上を向いてパツンパツンと切り落としたのである。

柿の果実をはさんでゆっくりと降ろすのが本来であるが、めんどくさいので切り落としである。

まあ、山であるので、地面が枯れ葉の腐葉土で柔らかいのでそんなに傷まないのである。

いずれにしも売るわけでもないので食えりゃいいというお気楽な柿の収穫である。

まあ、収穫というのもおこがましいので柿とりというのが正しい表現であるかもしれないのである。

昔は柿とり棒という先が二股に割れた長い竹を使って枝をパキンパキンと折ってとったのであるが、今は高枝切りばさみで切り落としてるわけである。

ということで切り落としの柿を例によって水でジャージャー洗ったわけであるが、完熟であるので、まっかっかである。

完熟している柿は砂糖をかけたように甘いので糖度はいかばかりかと思うが、実は叔父がこれを毎日食いすぎて糖尿病になってしまったので、あたしは心を鬼にして食う量を制限してるである。

品種は富有柿であるが、小売店で見かけるものとは大きさも相当違うので、なにしろ古い木であるので、おそらく原種であるかもしれないのである。

柿は一個食べれば一日分のビタミンCがとれてしまうほど豊富であるのであたしら健康マニアには欠かせない秋の果物である。

また、アセトアルデヒドの排出を促し二日酔いにも良いとされるが、そもそも二日酔いになるほど酒を飲むことに問題があるので、柿を二日酔いの対策と考えるのは本末転倒である。

このようにきわめて健康に良いとされる柿も食べ過ぎれば前述の糖尿病り患などろくなことにはならんので、そこはそれ何事も足ることを知らなければならないのは言うまでないことである。

象気功

2021年11月16日火曜日

大根の収穫と大根料理


 9月初旬に種を撒いた大根が見事に育ったのでは早めに収穫である。

お野菜を柔らかく香りも甘いうちに収穫して食えるのが自作農の特権である。

早めに食うことに慣れたあたし的にはスーパー等の小売店の野菜売り場に並んでいる見事に生育しきったものは、香りがきつく味もきついのである。

もちろん無農薬、完全有機肥料で安心して食えるということも気功家農園主としてはたまらん特権であるのは言うまでもないことである。

うちの周囲のプロの農家を見渡しても無農薬、完全有機肥料のお野菜なんてものはどこにもないのである。

健康法を追求するのであれば、小さくてもいいから自分の畑を持つことをご推奨もうしあげるのである。

ホームセンター等で売ってる種で十分であるので、てきとーに蒔いて試し見れば意外に簡単にできるのである。

うまく芽が出なければ、そこから家庭菜園マニアへの入口となるので、それはそれで楽しみ極楽天国の入り口である。

昨今はお野菜の育て方はネットでいくらでも学ぶことができるので、まったくのシロートさんでも用意に参戦できるのである。

まあ、ゴタクはともかく、これがよろしかろうという大根に目星をつけて、葉ではなく根を両手で持って丁寧に引き抜くのである。

大根の葉もお召し上がりになるので、そこはそれ大事に引き抜くのである。

ご存知のようにダイコンは消化を助けるジアスターゼを筆頭にビタミンC、カリウムや食物繊維等を豊富に含み栄養満点のお野菜で、煮物や漬物などあれこれ幅広い料理に使われるわけであるが、どうみても、根よりも葉の方に葉緑素を含めて栄養があるのは一目瞭然である。。

しかし、前述したようにこれが育ちすぎると葉が固くて辛くて食材としてはあまり芳しくなく、小売店の売り場では、どうせ捨ててられてしまうので最初から葉っぱをとって売られている場合ば多いわけである。

ここがあたしら自作農のたまらんところで、若いうちの葉が柔らかく香りもきつくないうちに、つまりもっとも美味いと思う好きなときに収穫して食えるわけである。

さて、その次はいつものように泥を水でジャージャー洗い流すとこのようにキレイで美味しそうなお大根になるのである。

この洗い流す作業は重要で、泥が残っているとジャリジャリしてやばいことになるのである。

とくに根と葉の付け根のところは入念に水をかけることが必要である。

洗い上がったら包丁でお好きなように切ったり刻んだりしていよいよお料理である。

まずは大根の酢の物と、即席漬けを作ろうということで細かく切り刻んだのである。

さてさていかなることに相成るやら、楽しみはこれからよということである。

育てる楽しみもさることながら、食うことはさらなる楽しみであるのは当然である。

ということで、出来上がった、大根の酢の物と塩昆布和えである。

もちろん両方とも火を通しいるわけはないので、ビタミンCは全力で保持しているので栄養は最高である。

酢の物は塩もみしてから水気を切って、刻んだ昆布や鷹の爪を入れたりして風味付をするのであるが、大量にお召し上がりになるあたしは酢と少量の砂糖で適度に味付けするだけである。

茹でた大根である。

まあ、大根の代表的なお料理にふろふき大根があるわけであるが、基本本的にあたしは茹でるだけである。

とにきよって、味噌をそのままのせて食ったりもするが、若い大根であるので茹でるだけで十分美味いのである。

素材を十分に味わうために、あれこれいじくりまわさずにできるだけそのままお召し上がりになりたいこともあるのである。

さらに大根とワカメのスープである。

味付けはワカメの出汁が主で、ほとんど味無しであるが、それでも十分美味いのである。

まあ、この場合の「美味い」というのは、外食はともかく家では塩や調味料をできる限り使わないというコンセプトの生活に慣れたあたしの場合であるから、いくら若い大根とはいえ万人に共通することではないのは言うまでもないことである。

象気功

2021年11月14日日曜日

鷹の爪(唐辛子)の収穫と葉の甘辛煮

 鷹の爪がほどよく色づいたので収穫するのである。

まあ、鷹の爪を山ほど作ってもそれほど利用できるわけでもないので、だいたいこの程度の作付けで十分である。

ていうのかてきとーの種を蒔いてほったらかしで勝手にできたのがこのぐらいであったという方が正しいのである。

種を蒔いてーーたくさん芽が出たらよろこび、少し出ても喜び、芽が出なけりゃそれでよしとする、やらないよりマシをもっとーとする象形流自然農法の真髄である。

わははははははははーーーーーーーーーっ。

笑うな。

ハイ。

引っこ抜いて並べるとさらに少なく見えるが、もう一度言うが鷹の爪は唐辛子であるので、700年の先祖代々の系図をたどってもどこまでも由緒正しい日本在住の百姓のあたしとしては、そんなに唐辛子をお料理にご使用になるわけではないので、このくらいで十分であるわけである。

さて、茎から実と葉をとって、ザルに入れて例によって水でジャージャーと洗うわけである。

なんで洗うかと言うと、泥がついていて汚いからである。

まあ、あたしら農業において泥が汚いなんていうと語弊があるので言い換えると、泥が付いてると食材として支障がでるからである。

誰が農業だ。

とにもかくにも洗ってこのようにキレイになると、作者のあたしとしては実に心が晴れ晴れと華やぎ、いつものごとく氣道が緩んで血管も緩み、全身の血流が良くなり健康増進の糧となるのである。

気功の目的は、氣で人を飛ばしたり体を木材て叩いたりしても大丈夫なんてことが目的ではなく、健康長寿である。

さらには唐辛子はカプサイシンによる健康効果も加味されるので、適度に使えば健康マニアにあh実に香ばしい香辛料となるのはご存知の通りである。

さて、鷹の爪・唐辛子の実の使い方についてはどなたもご存知と思うが、本題は「鷹の爪は葉も食べれられる」ということである。

これが砂糖と醤油で適度に味付けして甘辛煮とすると、その独特の風味と相まってそうとう美味いのである。

スーパーや青果店の店頭で葉がついたものを売ってたらぜひお試し願いたい。

そうは言っても、あたしはとりたての新鮮なものしか食ったことがないので、収穫して日にちが経過した葉が美味いかどうかは保証しかねるのは言うまでもないことである。

ということで鷹の爪の葉の甘辛煮である。

ご飯のお供に、またお酒のつまみに最高である。

象気功

2021年11月11日木曜日

キャベツの間引きと植え替え

てきとーに蒔いてキャベツが育ってきたので、うまく結球するように間引きして植え替えるのである。

写真の左がキャベツで右は大根である。

キャベツの種を撒くときは一個一個間をおいて蒔くわけではなく、溝を掘っててきとーに蒔くので、まとめて芽がでて密集してしまうのである。

キャベツはご存知のように成長すると結球つまり丸くなるので、密集していてはお互いに邪魔をしてうまくいかないわけである。

だから、時期をみて適宜離して植え替える作業となるのである。

このように農業は毎日こまごまと作業があって、日々休むことなく働くのであるが、気功家としては動くことによる氣の養生という側面が大きいので、面倒と思わずに運動と思えるところが実に楽しみとなるわけである。

まあ、やってみるとわかるが、種を蒔いてだんだん育ってくると実に可愛くなって、成長が実に楽しみで、その成長を毎日見ているだけでもそうとうないわば癒やしである。

あたしみたいな人格霊格が最低の人間でもほのぼのと心が和み、もちろん心が和めば体は緩み、血流は良くなり、細胞のメンテナンスは滞りなく行われるのが心地よく感じられるのである。

さて、間引きしたキャベツを植えるためのだいたいの間隔で横に並べるのである。

基本がやらないよりマシをもっとーにした農業であるので、べつに確実なノウハウがあるわけではないが、結球するときにお互いにじゃまにならないであろうということに配慮した間隔である。

農業なんて言えるような農業ではないが、とにかく健康の向上を第一義とする気功家としては、スーパーや小売店の店頭に並ぶきれいな農薬が葉に染み込んだキャベツや、さらには某ちゅーごく他の外国産のキャベツはもっての他であるので、とにもかくに自分で納得の行くお野菜ができれば満足であるのである。

それを植えるとこんな具合で、実に壮観なながめにうっとりとしばし時を忘れて見惚れてしまうのである。

これがもう少し経つと結球が始まってそれはもう可愛いことこの上ないのであるが、食ってしまうのである。

ここまでの経過からするとあたしが鬼のように思えるだろうが、食うために作るのであるから当たり前である。

小さいのも他の場所に植え替えて、楽しみはさらに増えて、あたしの人生は極楽状態であるが、これもいずれは食ってしまうのである。

何を言ってるのか自分でも判然としないが、家庭菜園をなさってる同志の方はいわずもがなでご理解いただけることである。

てなところかな。

象気功